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49章 雨事情と風来坊



「うひゃぁぁぁぁぁ──っ!」
「…………っ……!」
『ヒュ―…………ボスッ、ドン!』

岩盤の崩壊によって崖が崩れ、その崩れた岩に弾き飛ばされ、僕とレリちゃんは美紀ちゃんと靖くんとはぐれてしまった。
僕たちを弾き飛ばした岩は見えない力に従って落下した。靖くんたちは本来落ちるべき場所へ落ちたと思う。
そして僕とレリちゃんは落下していると木にひっかかって数瞬して地に落ちた。空から木にぶつかるなんて、運が良かった。
ひっかかった木が長かったことが幸いして僕は落ち際に何とか受け身をとれたからそれほど痛みはなかった。だけど。
身を引き起こすと木の枝や葉が服にたくさんついていた。それを全てはらい落してから僕は状況を確認した。
結構高い場所から落ちたかな……僕の目の前には垂直な岩肌が露出してる。
この岩壁を素手で登ろうとするのはまず無謀。他の方法を見つけないといけない。そして、レリちゃんの状態は?
「レリちゃん、動ける?」
僕は受け身をとったからいいものの……取っていかったら腕の一本や二本折れてるかもしれない。
そもそも、宙から大きく落ちる時の受け身なんて普通習っていないものだ。僕の場合、ラーキさんに訓練させられた。
ラーキさんは使い道のなさそうなものを僕にたたき込んだけど、土壇場となるとラーキさんに教えられていたことが役に立つ。
どうやら僕は生まれつき、人より土壇場に立つ回数が多いみたいだった。こんなことは、実は前にも経験したことがある。
「……腕、折っちゃったかも」
腕を動かそうとすると痛みがは走る、とレリちゃんが言った。少し変な方向に捻れたままの右腕。
僕がレリちゃんの右腕を軽く掴んだだけで顔を痛みで歪ませた。それだけの触診でも相当の痛みがあるみたいだ。
「また痛むけど、我慢してね」
不安そうな顔をするレリちゃんを落ちつかせる為に意識して僕はニコリと笑った。
笑ってる顔はいつも人と目を合わせる時に無意識に浮かぶものと同じだけど。
少しでも不安が取り除ければ良い、と思って笑顔をつくった。逆効果にならないと良いけれど。


目を閉じ頭の中で神に祈る言葉を紡ぐ。
魔者の僕が神に祈るというのはおかしなことかもしれない。
神というのはすべからく魔物を潰す絶対的な力の持ち主だから。
この祈りが届くかどうかはわからない。
でも、例えこれから使えなくなってもせめて今だけは祈りが届いて欲しい。
レリちゃんのために。


腕を健常な時の位置にひねり戻して、自分の左手をレリちゃんの患部の上にかざす。
僕の手の平から血の気が浮き、患部をそわりそわりと這いながら沈んでいくのが感じられる。
「っ……」
折れた骨が治る時に生じる痛みに歯をくいしばってレリちゃんは耐える。あともう少し……。
もう治ったかな。僕はすっと目を開いて掴んでいた右腕を放した。
「もう動かしても大丈夫だと思うよ。動かしてみて」
右肩を左腕でおさえながらゆっくりと右腕を動かしたレリちゃんは驚愕の色を浮かべた。
「…………あ、すごい。治ってる! 嘘みたい」
また嬉しそうにぐるぐると右手を回す。あんまり続けてると今度は関節が外れちゃうよ?
喜んでくれるのは良いんだけど。さっきのは身体の内部に石膏を流して位置を強制的にずらしたようなものだから。
放っておけば身体の能力によって自然に治るけど、いわば気休め。
「そう、良かった……」
「ねえ、キュラ何やったの? どうやったの?」
興味津々の嬉々とした顔で僕の顔を覗きこむ。別にそこまで気にすることでもないと思うけど。
もしかして、魔法の構造を理解していないんだろうか? それならこの驚きようにも附が落ちる。
「神様に祈ったんだよ。祈りが通じて痛みはひいたんだよ」
「でもキュラずっと黙ってたよ。それで届くもんなの?」
「祈りっていうのは言葉にしなくても届くものだからね」
へえー、と言ってレリちゃんはそれで納得してくれた。
なんだか僕の話に単純に驚いてくれるのが、嬉しかった。



「でも、どうやってここ登ろっかな……」
怪我も治したところで今の問題にとりかかることになった。
「僕が登れるとこがないか探してくるよ。此処で待ってて」
「え、あたしも探すってば」
がばりとレリちゃんが立ち上がろうとするのを両肩に手を置いて僕は止めた。
「まだ雨が降ってるし、それにまずは服についた枝とか取り除かないと」
僕はレリちゃんの髪に絡んでる葉っぱと小枝をとってあげてから木の下から出た。雨に濡れることに嫌悪はない。
雨と霧で見渡しただけじゃどんな地形なのかわからないから、突き当たるまで歩いて距離をはかった。
特にぬかるんだ場所もなく、だいたい千歩ほどで岩壁に突き当たった。そう広くはないかな。
レリちゃんと僕がいた木は突き当たったところからは見えない。突き当たった場所に沿って僕は歩くことにした。
僕は何かに遮られることもなく黙々と歩いていたらレリちゃんのいる木の近くまで辿りついた。
これで半周した。そして遮るものがなかったってことは今の所絶壁に囲まれてる場所ってことになる。
この分だと一周しても同じことかもしれない。そう推測が立てられたところで僕は大木の下に戻った。
「どうだった?」
「断崖絶壁に囲まれてた。普通にやってちゃ登れそうにないね」
僕は打つ手がなくて途方にくれるしかない、と思った。この断崖絶壁をどうしろと? でも、どうにかしなきゃ。
清海ちゃんや鈴実ちゃんのことも木にかかるけど……まずは美紀ちゃんと靖くんと合流したい。
鈴実ちゃんは、途中で数段下の崖に落下して助かっていたのを確認出来てる。清海ちゃんは、あの魔物を倒していた。
でも美紀ちゃんと靖くんは近くに落ちたけどどうなってるのかわからない。
「今の持ち合わせに断崖絶壁を越えることの出来るものはない。でも……このままじゃ」
あの二人が危ない。レリちゃんは、僕がいるからなんとか……いや、断崖絶壁で逃げられないなら時間稼ぎにもならない。
駄目じゃないか。どうにも出来ない。僕の光は貫通するもの、貫通こそすれ破壊は出来ない。どんな物でも通り抜けるだけだ。
僕は頭を振って額に手をあてることしか出来なかった。考えを巡らせても、旋回するだけで上昇してはくれない。
「だったら階段を作れば良いんだよ」
「そんなの無理だよ。道具もないのに」
レリちゃんは簡単に言うけれど。ここはもう砂漠じゃない。荒涼とした岩山だ。岩は手で崩せはしない。
それに何か道具を使ったところで階段を作ろうとしたらどれだけの時間がかかることか。
「魔法で削ってけば良いんだよ。あたし水の魔法使えるし」
そんな高等なこと、口で言うほど簡単にできることじゃない。そう言う前にもレリちゃんは呪文を唱えていた。
魔力の無駄遣い、と言いかけたところで術は空との干渉を終わらせていた。
空から落ちてくる雨が少しずつ、次第に集中してきて斜めから岩肌を激しく打ち、少しずつ削っていくのが見える。
……嘘だろう? そうしているのを見てる間にレリちゃんの肩くらいの高さで一段の階段が姿を現した。
どうして、こんな大業を簡単にこなせれるんだろう。呆気にとられて僕は体が動かなかった。
そんな僕の腕をレリちゃんは引っ張ってどうしたの、と僕に笑いかけた。得意げでもないようないつもの微笑で。






「…………」
いらついて仕方ない。…………なんで、こんな……あたしは腕を組んで目の前を見据える。
客観的に見たら怒るようなイラつくようなことじゃないわ。そりゃね。
でもしょうがないじゃないの。あたしでも今の感情わからないわ。
それにわからない、だけど抑えきれそうにないのよ!
おまけにこんな時に限って歯止めかけられそうな美紀とかレリがいないし。
せめて落ちた時に一人じゃなかったなら。靖でもいたら多少抑えがきくのに。
最悪。その言葉があたしの頭の中でイラつきと共にぐるぐると駆けめぐっていた。
もちろんこんなわけのわからない感情なんて持ってて気分が良いわけがない。
あたしにとっては長いこと持ち続けていたくない。持ってたら自分にも周囲にも被害がでるから。
自分の感情を鎮めようと無言を続けるけど何か声かけられようものなら……
今の状態だと鳥一匹飛び立つ音にさえも過敏に反応してしまうくらいピリピリしてる。
そんなあたしの様子にそいつは多少戸惑いを見せて口を開こうとしていた。話しかけないでよ!
「おーい、鈴実さん……なんか怒ってないか……?」
『キッ』
話し掛けるなって、目で言っておいたのに。弱気だろうと強気だろうと関係なかった。
声を掛けられたことが引き金になった。睨みが強すぎて空気を本当に揺らした。
「知らないわよっ。今のあたしはあんたの顔みた瞬間こうなちゃったのよ!」
「俺のせい?」
「そもそもなんでっ、あんたが今ここにいるのよ。毎っ回人の行く先々現れてっ、神出鬼没で!」
「へー、ほー……そうかそうか」
「あんたは一体何が目的なのよ。あんたの行動はわけわかんないわよ」
あたしは最近、感情が不安定だっただけにいつもよりも感情的になりやすかった。
「あー、まあまあ、ここらへんで落ち着けって」
落ちつけ? そんなのイラつかせてる原因がいう言葉じゃないわよ。
「これでも落ちつこうとしてるわよ」
あたしが感情任せに言い続ければ自分でも制御しきれないほどの邪気が生まれる。
それに引き寄せられてくるよくないものにあたしの精神が凌駕されたら……
昔制御しきれなかったせいで大惨事をひき起こした。それは忘れられないこと。
忘れることは許されない。鎮めないと……どうしてこいつにそこまで苛立つというの。
こんな奴怒る程の価値もない。苛立つなんて馬鹿馬鹿しいことだわ。
そうやって冷静になろうとしてもあたしの苛立ちは収まらなかった。
「俺のことを意識してくれるのは嬉しいんだけど、こうもピリピリされるとなー」
「なっ……」
的確に言い当てられて、その一瞬だけは気が静まった。
でも、一瞬が過ぎると余計むかつきが大きくなった。

雨はずっとやまない。でも天候のことなんていつでもどうだって良い。
よく雨が嫌いなんだと思われるのは雨の日に良いことがないから。今、頭の血管がぶち切れそうな感覚。
そういう状態まではまだいっちゃいないけど、ひくつきそう。臨界点は近いわ。
まだひくつかないのはその原因が清海がじゃないから、ってこともある。
清海とはぐれて嫌いな奴と出くわしたくらいでこんなになるんだったらやってられない。
でもひくつきそうになるって分、あたしが今やばいのは確かなこと。
おかしすぎる。あたしがいきなりこんな…………左手を額に置いて自然と顔はうつむく。

変よ。あたしがこいつを嫌いっていう私的感情を入れて考えても敵ってだけで。
そもそも、こいつに何かを奪われたわけでもない。ただ敵って見なしてるだけ。なのに。
ビリビリと、あたしの体を電気が迸りそう。実際そうなったら感電どころの話じゃないけど。
……何気ない顔で雷を操る清海はどれだけ危険なことなのかわかってるのかしら。
靖とレリにしたって、そう。普通に使ってる火とか水も調節を間違えれば周りにも危害がおよぶ。
今のところ問題はないけど。でもそれは所詮、運が良かっただけ。
調子にのりやすいあの2人のことだから絶対何かあれば大技繰り出すわ。
その時に相手が間抜けじゃなかったら、まず2人がやられる。今までだいたい一発KOだったけど。
魔法の一撃でなんとかなるんなら誰も困りやしない。力を過信しないと良いんだけど。
昼間のサソリは使った魔法が的確で、先を制すことが出来たから良かったものの。
清海はあの国に行くまではちょっと様子が変な時もみかけたけど。
でもあの国出てからは妙に元気、というよりいつもの元気を取り戻してた顔だった。
まさかあの冷血が清海に何か、と勘ぐるわけじゃないけど。
あんまり清海があいつに絡むのはむかっとくるものがあったけど。
おまけに去り際に寄越したものと来たら。この際、文化の違いってことで目を瞑っといておくけど。
もしも清海に何かしでかしたら封印して漬物石にしてやるわ。反省するまでは意地でも封印は解かない。

あたしは目の前にいる奴は気にせずにどんな方法で反省させるかという箇所まで考えた。
というか意識したくないから、考えにふけって現実逃避をしようとしてるだけ。
「イライラが消えたのは良いけど、無視されるのもな……無視するなって」
『ズサッ』
ひらひらと目の前で揺れているのを認めた時にはあたしは後ずさっていた。
「あらら──……いつも以上に冷たいねぇ」
「あんたがいくら口調変えて戯けようが、ひっかかったりしないわよ」
『ピラッ』
「ん?」
「あ……」
あたしの懐から不意に一枚の白紙が地面に雨の雫に打たれながら落下していった。

ヒラリヒラリと一枚の白紙。雨に打たれているもお構いなしにそれは落ちていく。
それをパクティが地につくより先に掴んだ。掴んで一瞬、おちゃらけた表情が消えた。
掴んだ白紙に視線を落として口許が微かに動いた。雨音で何を言ったのかあたしは聞き取れなかった。
落とした白紙には牢屋にいた時に封印した変な子供が宿ってる。でもあれは人間なんかじゃなかった。
間抜けだったけど、そんじょそこらの奴でもないし幽霊ってわけでもない。
大蛇を龍に転身させたことは記憶に新しいことだし。風神とか言ってたのがいたわね。
でもそれにしては威厳がなかった。神と称されるくらいならゲームのラスボスくらいの力はあるはず。
神がこの世にいてあたし達の前に現れるなんてこと、あたしは信じてないけど。別に信心深くはないの。
威圧されでもしない限りあの子供が神なんて到底信じる気は起きない。
変な考えだけど。絶対的な強さを誇ってないことには神と呼ばれないでしょ。
あたしの力が対象よりも上回ってなきゃ封印することはできない。
人間の力で神様は白紙に封印されました、おわりなんてことあったら一生の語り草にできるわよ。
王族じゃあるまいし、世襲みたいに血筋で神が決まるならそれこそ笑えるわ。

「……またおもしろい物を持ってるな」
ずいと目の前に差し出された白紙。すんなりと返してくれる気みたいね。
どうせこいつのことだから今更こんな時に警戒したって意味はないでしょうし。
あたしは白紙を受けとって懐の中にしまいこんだ。
「あたしが封印したのよ。誰かの話じゃ風神らしいけど」
あたしは仕舞うついでにそう答えた。別に言って不利になるものでもないし。
言ったところで特に驚いた表情を浮かべるでもなくパクティはそうかと反応を返してきた。
何度か今みたいに2人きりになった事はある。でも現れたところで何か危害を加えるわけでもない。
むしろ助言とかをして去っていく。こんな敵キャラあり? と疑いたくもなるんだけどね。
よくわからないけど今の所距離をとってれば心配はない、そう考えておくことにした。
「封印されたら持ち主をイラつかせるしか能がない風神か」
「は?」
あたしはパクティの言葉に目を見開いた。いらつかせる?
そういえば、いつの間にか理不尽なあの苛つきがおさまってる。
確か牢屋にいた時もあたしはイライラして……はた、と気づいた。
パクティの一言は、確かにあたってる。ここ数日のイライラの原因はこいつだったのね!

封印される前との違いは雷をバリアに使ったり蛇を龍にしたりと奇想天外な事ができるくらい。
本当はもっとすごいこともやってのけるのかもしれないけど。封印されてちゃ本領発揮とはいかない。
そんな風神なんかに感情を左右されてたなんて、自分に対して腹立たしい。
自分の力で見抜けなかったことのほうが指摘されたことよりも腹立たしい。
そもそもどうして今更こいつの顔みたくらいでイライラする理由があったのよ。
パクティよりも風神のほうがあたしを苛つかせたんじゃないの。
気づかなかったあたしも馬鹿だわ。最近平和すぎてあたしもボケてたのかしら。
だいたい今清海達と分散しちゃったのも。
敵が弱いのばっかだったのに、いきなり強いのが出てきたからよ。
あーもう言い訳ばっかりはスラスラと思いつく自分に腹の立つ……!
パクティに対するいらつきは消えた代わりに自分にむかついてきたわ。

「おーい、今の状況気づいてんのー?」
「何よ……っ!?」
間延びした声にいつの間にかうつむいていた顔を振り向かせるとパクティがあたしの背後にまわっていた。
その次にあたしは急に自分が両肩が少し重くなったことを感じた。首のあたりは腕が回されてる。
つまりあたしは、パクティの腕の中におさまってるってことだった。
あたしが自己嫌悪してたから気づかなかったとは言え、雨の中音もたてずに?
こいつ本当に一体……ってそんなこと考えてる場合じゃないわよ!
「離れなさいよ、何勝手にあたしに抱きついてんの!」
そう言ってもパクティはあたしを放さない。それどころかしなだれかかって体重をかけてくる。
あああ頬をすりすり寄せるな──! あんたは小動物かっ。こんなにでかい小動物は認めないわよ!
「んー、だったら許可が降りたら抱きついていいわけ?」
耳許でそう問われて一瞬言葉に詰まった。おまけに密着されてて暑苦しい!
「そういうもんでもないわよ! だーかーらー放しなさいっ、て言ってんでしょーがっ!」
それよりもこいつ、雰囲気変わってない? こんな感じじゃなかったはず。
「なんでそこまで抵抗するかね、抱きつくくらいで」
顔は見えないけど苦笑したように感じた。それには多少むかっとしたけど。誰のせいだと……
「あんたが敵だからに決まってるでしょ。何されるかわかったもんじゃない」
「……」
すぐに返事がかえって来なかった。首ごと振り返ってもパクティの顔は俯いてて表情は読めない。
「じゃあ……敵じゃなかったら良いのか。抱きつく以上は何もしなかったら?」
声を低くしてパクティはあたしに問い掛けをした。

……言葉に詰まった。何を言われたのか一瞬にはわからなくて。こいつが敵じゃなかったら?
「敵じゃなくたって良くないわよ。靖でも御免だもの」
味方だからって男にベタベタされるのはむかつくし。男の中では一番付き合いのある靖でも許さないわ。
だから、男に抱きつくなんて、お父さん以外じゃこいつだけだもの。そのお父さん相手でもここ五年は抱きついてない。
「そうか、鈴実はひっつかれるのが嫌なだけなのな」
う。確かに……結局あたしは敵だからっていう前に、ひっつかれるのが嫌。
理由を崩されたのが癪だけど。もうこいつ相手に敵だからって言い訳はきかなくなった。
……言い訳? ちょっと、あたしさっきこいつに対して言い訳ができなくなったって考えなかった?
誰に言い訳するっていうのよ、あたしが! こいつのペースに合わせられてるんじゃ……
「とにかく、放しなさいよ!」
あたしは体をバタつかせたりしたけどパクティは一向にあたしを放しそうになかった。
それどころかまだ腕に力を込めてくる。このっ……!
『ドンッ!』
肘鉄をくらわした。あたしは後ろから抱かれてたから。
それでもパクティは微動だにせずあたしを放そうとはしない。腹が立つわね。
「目の前、崖なのわかってんの?」
「えっ?」
その言葉にあたしは首を傾げた。崖、って……深い霧に山ごと覆われているせいで足下はよく見えない。
今の状況を整理してみる。こいつはあたしの目の前に現れた。こいつのその先に崖があったってわけ?
あたしはずっと体の向きを変えてないんだから、そういうことになるけど。
じゃあ、背後に回ったのはあたしがこいつを押しのけて先に行くつもりで落ちるのを止める為に、とでも?
今いる場所がどんな地形なのかすら霞んでわからないけど……足下に注意なんて払っていなかった。
こいつの言葉を信じて良いのかわからない。へらへらしてて何を考えてるのかわからない。
最初の時だってそう。こいつは楽しんでた、焦りはまったく見せずに。
はめたと思っても全然魔法は効かなかった。氷に閉じ込めても何事もなかったように割って出てきた。
あたしが捕らえたと思ったのは幻影だったし、その幻影があたしを捕まえた。
本物はレリと靖の背後にいたのに美紀が呼び出した魔獣以外気付かなかった。
あたしが地面に足をつけていたのも束の間のうちに本物に捕まえられた。
……翼もないのに宙に浮んでたのに少し放心しちゃってたのは、認めるけど。
清海の雷もおそらくはカフィが現れなくたって自分でどうにかできたんだわ。
自分が死ぬ瞬間を考えてたのなら、笑みが消えないはずがない。
わざと悲鳴をあげたりしてただけであたし達の魔法は回避されたり効かなかったりした。
こいつ相手に魔法じゃどうにもできないかもしれない。パクティは底が見えない。
「ちゃんと掴まってろ。空を移動してんだから」
言われて気付けば足が地面についてなかった。あたしは慌ててパクティの腕を掴んだ。
こいつが翼もなしに空に浮けるのは知ってるけど……侮ってられない。

「鈴実は引っ張る力が強いんだよ。……あんなお気楽共を引き連れてた結果だろうけど」
パクティは力を抜く技術が必要なことだってある、と耳許でわらった。
それは忠告まじりの苦笑なのか皮肉なのか、あたしはわからなかった。
こんなのが、どうして敵なのか。わからなくなるけど。
でもどんなに人のようであっても、魔物を率いていたんだから。
こいつは……魔物。悪魔がどこまでも狡猾なのは優しさを見せる器用さを持つから。
悪魔は優しさが何たるか知ってる。それに、本を正せば悪魔とは堕天使のこと。
今まで読んできた文献をどれだけ反芻しても、掴んだ腕は冷たくなることなんてなかった。
魔物だって、血が流れてるなら。生きてるなら、当然のことだけど。
違いのない温かみに人の甘さを垣間見てしまう。
でも、あたしは人の温かみに包まれていられる環境にいたら家の勤めを果たせなくなるから。
取り返しがつかなかった人への誓いは取り消せない。それに清海を、守ってあげていたい。
誰かに縋ることをあたしは自分に許せない。求めるわけにはいかない。
……だけど、なのに。
抵抗もせずその腕が放されるまであたしは捕まえられていた。掴んでしまった。









NEXT

絶対に、落ちたりしない相手だからこそ。そう思っていたけれど。 抱きつきにいくということが出来るか否かは大きいことを、彼女は忘れていた。